室蘭少年野球連盟が結成され、少年(学童)野球チームも登録が多くなり始めた頃、あかつき少年野球部さん・祝津少年野球部さんと同じく昭和53年に新規登録された港北クラウン、現存するチームとしては一番古いチームとなりました。
因みに上記2球団が少年野球部というチーム名になっているくらい当時の藤村政春監督率いる港北少年野球部は他チームを牽引するようなチームだったことが伺える。
その藤村監督が心機一転、昭和53年に創設したのが『港北クラウンスラッガーズ』だ!
王貞治選手のホームラン数が世界一になった年、有珠山が噴火した年の・・・・秋
室蘭の強豪『港北少年野球部』が室蘭から初めて全道大会に出場した年、その功績を褒め称えるのではなく、クーデターにより監督が解任された。
翌年昭和53年、藤村監督によって『港北クラウンスラッガーズ』が誕生した!
藤村監督の想いとしては、港北少年を凌駕するチームにしたかったと思いますが
コーチ陣の盤石な港北少年にはなかなか手が届かないといった感じでしょうか
しかしながら港北少年を創り上げた情熱は本物で団員、コーチ陣の充実と共に成績も上がって行ったと記憶します
太田監督の時代に入りユニフォームも当時圧倒的な人気の読売巨人軍のカラーを取り入れ平成30年のユニフォームにも一部取り入れたストライプのユニフォームになりました。初代の薄い水色のユニフォーム生地に倣い水色のストライプを前身頃に入れました。
昭和59年に初めて学童大会で優勝!
日程的に同位優勝という事で西胆振大会へ駒を進めました
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